2008年6月16日月曜日
2007年11月9日金曜日
2007年1月22日月曜日
第3回控訴審(2007年1月22日配信)
1月19日午後、第3回控訴審が行なわれました。大友に次ぐ重要関係者の村上元専務の証言です。主尋問は、まず、村上自身の株価操縦事件についての証言から始まりました。証言の概要は次の通りです。
1.株価操縦事件は、自分が証券外務員の丸田の詐欺に嵌められたことから始まっている。
2.丸田は、キャッツの大株主であった三井海上の紹介で自分を訪問し、キャッツの株価が安いのはIRがなっていないからであるとして、キャッツの経営姿勢を叱責した。
3.これをきっかけとして自分は丸田よりIRの指導を受けることになり、それから2年ほどした頃、丸田より日立との業務提携を持ちかけられた。
4.キャッツで自分が営業責任者として開拓した顧客数は24万件、これに対して日立の従業員持家数は12万件あり、なんとしても業務提携を成功させたいと考えた。
5.丸田より日立との業務提携を推進してくれる人として、東京証券代行常務の福迫を紹介された。東京証券代行は全日立グループの証券代行を行なっていた。
6.平成12年8月頃、福迫に依頼され、丸田と共に、横浜の小柳という高利貸しを訪問した。当初は株主へのごあいさつということであったが、ものの見事に金を借りさせられることになった。借り入れ総額は8億5千万円となりその全額を福迫に手渡した。福迫からは預り証を貰った。この金は業務提携のための活動費として使われると信じており、自分の負担は借入金に対する8%の金利分だけだと思った。
7.加藤及び神本は福迫の紹介で知り合った。加藤は投資コンサルティング会社社長、神本は政財界に顔の広い実力者ということであった。
8.その後日立との提携の進展に不安を持ったため、当時中心になって活動していた加藤の事務所を訪問した。その事務所はみすぼらしく、とても大日立グループとの業務提携を推進しているとは思えなかった。自分の出した8億5千万円が返済されるか不安になった。
9.加藤は、日立との提携を推進しているどころか、キャッツ株を信用取引で大量に買っており、信用期日の精算金や株価維持に伴う追証の請求を行ってきた。一方で横浜の小柳の借金の返済期日が迫っており、加藤の要求に応じなければ8億5千万円が返ってこないのではないかという恐怖感により、加藤に金を出し続けるしかなかった。
10.小柳への返済金は銀行で借りて自分が全額返済した。自分が現在生きていられるのはこの金を返済しているからであると思う。
11.当時顧問会は復活していたが、とてもこのような話を細野先生に相談する事はできなかった。相談すれば、細野先生の事だから、必ず事実調査を行い事件になってしまう。そうなると自分の8億5千万円が戻ってこなくなるかも知れず、加藤らとの事はまだ自分で何とかできると思っていたからである。
株価操縦に関するこの証言を受けて、本控訴審事件である粉飾決算事件の事実関係について、次の証言がありました。
1.平成13年8月に藤久が株主名簿に登場した。このときの顧問会では自分以外は誰も藤久の実態を知らなかった。細野先生は株主名簿を見て、帝国データバンクで調べるよう西内に指示した。
2.その後自分が大友社長に直接、藤久が加藤であることを話した。西内には話していない。西内を加藤・神本との揉め事に巻き込ませたくなかったからである。
3.次回の顧問会では、西内が信用調査に基づいて藤久のことを報告した。家具の販売会社のようであり、キャッツに対する要求は何もないとの事であった。それだけのことであり、このときに細野先生に株価操縦を告白したというのは嘘である。
4.この年の年末ギリギリの夜、細野先生の事務所に電話をして、ごあいさつをした。実はこの時は予算達成のため12月30日の夜まで営業を行なっており、必至の思いで売上をやっていた。一方加藤からは金の無心を連日受けており、自分としては心身ともに限界であった。もうこれで全てが限界だと思い、最後の売上を上げた夜遅く、まさか細野先生が事務所にいるとは思わなかったが、お声だけでも聞ければと思い電話をした。
ここで村上は感極まり、証言台で泣き出し、暫時尋問は中断を余儀なくされました。以下は涙ながらの証言です。
5.年明けに細野先生から電話があり、細野先生の事務所に呼び出された。年末の電話を気にしていただき、何かあったのではないかと尋ねていただいた。
6.最初は当たり障りのない話をしていたが、細野先生の追及で、丸田・福迫に自分がだまされて金を取られたこと、それが契機となり加藤・神本が登場し自分達の金でキャッツ株が買い占められるに到ったことを告白した。
7.細野先生は仕手との絶縁を厳しく求め、至急本多弁護士・大友社長を交えて話さなければならないと言った。
8.1月9日に三役会が開かれ、大友社長は加藤・神本の買占め株を自分が買戻して、仕手と絶縁することを宣言した。買い戻し資金は大友社長が何とかするとの事であった。自分でさえか当時20億程度の金は調達できたので、大友社長の資金調達力には何の疑問も持たなかった。
9.1月15日の細野先生を交えた会議では、大友社長は、一般投資家や従業員などにご迷惑をかけることのないよう、自分が全責任を取り、自分の金で加藤・神本の買占め株を買い戻すと話した。
10.細野先生はこれを聞いて、「本件は元はといえば村上に端を発する問題にもかかわらず、大友社長はそのことに一言も触れることなく、自分が金を出して全て責任を取ると言っているのであり、一般投資家や従業員・取引先にご迷惑をかけまいとする大友社長の姿勢はたいへん立派である」と言っていた。
その後村上は落ち着きを取り戻し、粉飾決算事件の本筋について時系列に沿って証言をしました。重要な証言は次のとおりです。
1.2月4日のやり直し取締役会は当日急遽招集された。1月24日に行なわれた60億円
の貸付決議は撤回され、大友社長が株の買戻しをするという指名決議が行なわれた。
2.そのあと監査役より細野先生に対して、ニッセキハウスに関する質問があり、細野先生
より債権放棄が進展している旨の話があった。
3.細野先生はもともと経理の仕事で来ていたのであり、取締役会終了後仕事に戻るため、途中で会議室を出た。
4.その後準公開買付は失敗し60億円は返金されたが、その金が最終的に会社に戻ったかどうかは、自分は知らされていない。
5.2月15日の開發提案によるリヒテンシュタインと匿名組合によるスキームの共謀の会議には自分は参加していない。アリバイがある。この間の活動は全て大友・西内・開發がやっており、自分は疎外されていた。
6.ニッセキハウスの買収は平成13年から進行していた話で、株の買戻しとは関係がない。サンレックスのゴルフ場は大友社長が思いつきで言い出したことで、キャッツ株でゴルフ場を買いたいと言い出したものだから話は壊れた。
7.5月28日の顧問会で、西内が大友社長振り出しの小切手で60億円の仮払金を精算することを顧問会で報告した。さらに西内はこの小切手を開發のM&Aファンドに預けたいと主張した。
8.このM&Aファンドについて、西内は細野先生に監査が必要かと尋ねたが、細野先生は必要ないが、会社が希望するのであればやったほうがいいと答え、西内が栗林公認会計士を持ち出した。
9.6月4日に開發の入った会議があり、細野先生のほうから、開發に流れた60億円でリヒテンシュタイン・匿名組合を通じてキャッツ株が買われていることを確認し、それでM&Aファンドを組んでくれないかと持ち出したが、開發は、「それでは私と200万株がくっつくのでいや」と言ってこれを断った。
10.そこで大友社長は、60億円のパーソナルチェックを決済するため、竹田という人を通じてモルガン銀行による資金調達に奔走した。
11.竹田のモルガン融資話を大友社長は信じきっていたが、細野先生・本田先生はインチキではないかと言っていた。そこで大友社長と両先生の間で1万円の賭けが行なわれた。
12.7月16日の三役会に開發が来た。三役会はいつも社長室で開かれる。大友社長は竹田のモルガン融資話はインチキだったこと、開發が一旦断ったM&Aファンドを引き受けてくれることになったことを話した。開發は、「大友社長が死んだらどうなる」と聞いたが、大友社長は、「ここにはみんないるんだから、みんなが開發さんに迷惑をかけることはない」といったので、開発も納得した。
13. これを受けて7月17日に大友社長はモルガン融資話の終了宣言を行い、自分は、「次の顧問会で先生方に掛け金を払ったほうがいいですよ」と忠告した。
14.7月18日の顧問会では、モルガンがいんちきであったことを大友社長が報告し、細野先生・本多先生に掛け金を1万円づつ支払った。細野先生が「どうしてインチキと分かったのか」と聞いたので、大友社長は「開發に教えてもらった」と説明した。この会議に開發は参加していない。
15. 大友社長は「モルガンは駄目になって小切手は決済できなかったが、開發が例のM&Aファンドを引き受けてくれるようになったので、それで60億円の仮払金を処理する」と報告した。
16.9月になりキャッツの株価が2千円を割り込んだ。キャッツ株を担保にしてシティ銀行から金を借りていた大友社長は、9月末の顧問会で10億円の個人借入をキャッツからしたいと言い出した。これには本田先生が大反対をし、細野先生もそれだけは止めろと叱責した。大友社長はこの個人借入を断念する事になった。
17.実はこの時の10億円は簿外貸付されていたが、そのことは平成15年9月に自分が社長に就任した時分かった。
18.資金に窮した大友社長は開発とつるんでM&Aファンドの200万株を市場で売却していたが、そのことは役員会でも三役会でも顧問会でも報告はなかった。自分も知らなかった。自分が知ったのは今回の控訴審における細野先生の調査結果を教えて貰った極最近のことである。
19.11月7日にファースト・マイル買収のための夢現での会議があった。開發が出席していた。大友社長は「開發さんのところの60億円のM&Aファンドでファースト・マイルを買収したい」と切り出した。
20.開發は、「ファースト・マイルはラウンドワンが100億円投資して築き上げた優良事業で、自分はこれを上場させようとして経営している」と説明した。
21.大友社長はいかにファースト・マイルが素晴らしい会社で将来性があるかを強調した。
22.西内は「ファースト・マイルには450万件の会員顧客があり、キャッツの顧客が老齢化していることもあり、キャッツの顧客との相乗効果が期待できる」と主張した。
23.細野先生は、「こんな会社を買ってどうするのか」と言って、買収に否定的であった。「それに純資産の乏しい会社だから、買収すると償却がたいへんで年間10億円を超える償却になる。それでやっていけるのか」と言った。
24.私は、「それでもうちはこれをやるんです」と答えた。この結果、この日はデューデリジェンスと株価算定をしっかりやることだけが決まった。自分はファースト・マイルの顧客数だけから考えてもファースト・マイルに60億程度の価値はあると思っていた。
25.11月末に細野先生に呼び出され、水道橋の焼鳥屋で本多先生を交えて3人で話をした。細野先生は、「株の買戻しも終わり業績もいいのにこれだけ株価の下落が止まらないのは、大友社長の放漫経営が市場から見放されているためではないか」と言って、「この際、大友社長は放漫経営の責任を取って退任すべきである」と進言した。
26.本多先生も同意見であり、結局自分が大友社長の自宅まで行き、二人で大友社長の退任問題を話し合うことになった。しかし、実際に大友社長に会うと退任の話は出来ず、この話は沙汰闇になった。
27.平成14年6月中間期並びに12月期の有価証券報告書に虚偽記載があったとは全く思っていない。
続いて、取調状況に関する証言が次の通りありました。
1.株価操縦に関するSECの取調では容疑を一貫して否認していた。また逮捕前の検察庁での取調でも否認していた。
2.逮捕勾留され最初の7日間は事件について一切話をしなかったが、「認めなければ一生拘置所から出られない」と検事に言われ、血糖値が高くこのままでは死んでしまうと思い、「一瞬でも株価操縦があれば株価操縦罪は成立する」と言われたことから株価操縦を認めることにした。
3.株価操縦での起訴後も勾留が続いたところ、検事が「おひまでしょうから…」と言って本件粉飾決算についての取調を行なった。
4.検事は西内のものと思われる調書に基づいて供述調書を作成し、「西内の記憶は確かで正しいんだ」と言って、自分の言い分を認めてくれなかった。
5.「事実と違う、記憶に無い」と抗議をしても検事は調書を訂正してくれなかった。
6.家内と娘が接見に訪れ、大家から家を出て行けといわれていること、銀行預金がすべて封鎖されてしまい金がないことを告げられた。自分が保釈で出ないことには一家が成り立たず、何としても保釈で出なければならないと思い、事実と違う調書に署名してしまった。
7.保釈後、株価操縦についての真実を立証したいと思い、丸田に会ってそのやり取りを録音テープに取った。このテープを法廷に提出してもらおうと弁護士に渡したところ、テープは弁護士から検事の手に渡ってしまった。
8.そして検事から呼び出しを受け、三方一両損の話を聞かされ、「10人の人が逮捕され、その中に一人だけいい人がいても、一人だけいい人になることはできないのだ。」と言われた。結局テープは法廷に提出されなかった。
9.自分の法廷では主張できなかった真実を証言できる機会を与えられて、ありがたいと思っている。
最後に、弁護側より、自分の刑は確定したにもかかわらず、今回宣誓供述調書を作成し証言台に立ったのはどのような心境からかと聞かれて、再び涙ながらに次のことを証言しました。
株価操縦事件で自分が逮捕されたあと、自分の両親はともに病気で倒れ、父親は今現在危篤状態である。一番下の子供はいじめに会い、登校拒否となってしまった。家内の父は昨年死んで、自分の弟も昨年鉄道の飛び込み自殺をした。自分が発端となったこの事件は次々と自分の身に不幸をもたらすが、自分でさえかこのようなことが起きるのであるから、事実と違う罪でこのようなことになっている細野先生はどれほど大変なことかと思う。自分が原因となって細野先生をこのような目に合わせてしまったのであるから、自分は決してこの世では細野先生に合わせる顔が無く、あの世でお詫びをするしかないとあきらめていたところ、仲介してくれる人があり、本日の証言ができることになった。この証言をしたところでお詫びをしたことにはならず、許してもらえることがないことはよくわかっているが、あの世ではなく、この世で少しでもお詫びをさせていただけて感謝している。
検察官からは若干の反対尋問があり、印象的なものは次の通りです。
(検察官)先ほどあなたはファースト・マイルの価値が60億円あると思った理由として、ファースト・マイルの顧客数を上げていたが、ファースト・マイルの顧客はポイント・カードの客で、キャッツの顧客とはその層が全く違うので、相乗効果など期待できないではないか?
(村上証人)だから細野先生は反対していたんです。
(検察官)一審段階ではあなたは検察側証人としても弁護側証人としても出るのはいやだと言っていたのに、なぜ今回弁護側証人となったのか。
(村上証人)あの世でお詫びするより、この世でお詫びしたかったからです。
以上、異様な雰囲気のまま閉廷しました。
1.株価操縦事件は、自分が証券外務員の丸田の詐欺に嵌められたことから始まっている。
2.丸田は、キャッツの大株主であった三井海上の紹介で自分を訪問し、キャッツの株価が安いのはIRがなっていないからであるとして、キャッツの経営姿勢を叱責した。
3.これをきっかけとして自分は丸田よりIRの指導を受けることになり、それから2年ほどした頃、丸田より日立との業務提携を持ちかけられた。
4.キャッツで自分が営業責任者として開拓した顧客数は24万件、これに対して日立の従業員持家数は12万件あり、なんとしても業務提携を成功させたいと考えた。
5.丸田より日立との業務提携を推進してくれる人として、東京証券代行常務の福迫を紹介された。東京証券代行は全日立グループの証券代行を行なっていた。
6.平成12年8月頃、福迫に依頼され、丸田と共に、横浜の小柳という高利貸しを訪問した。当初は株主へのごあいさつということであったが、ものの見事に金を借りさせられることになった。借り入れ総額は8億5千万円となりその全額を福迫に手渡した。福迫からは預り証を貰った。この金は業務提携のための活動費として使われると信じており、自分の負担は借入金に対する8%の金利分だけだと思った。
7.加藤及び神本は福迫の紹介で知り合った。加藤は投資コンサルティング会社社長、神本は政財界に顔の広い実力者ということであった。
8.その後日立との提携の進展に不安を持ったため、当時中心になって活動していた加藤の事務所を訪問した。その事務所はみすぼらしく、とても大日立グループとの業務提携を推進しているとは思えなかった。自分の出した8億5千万円が返済されるか不安になった。
9.加藤は、日立との提携を推進しているどころか、キャッツ株を信用取引で大量に買っており、信用期日の精算金や株価維持に伴う追証の請求を行ってきた。一方で横浜の小柳の借金の返済期日が迫っており、加藤の要求に応じなければ8億5千万円が返ってこないのではないかという恐怖感により、加藤に金を出し続けるしかなかった。
10.小柳への返済金は銀行で借りて自分が全額返済した。自分が現在生きていられるのはこの金を返済しているからであると思う。
11.当時顧問会は復活していたが、とてもこのような話を細野先生に相談する事はできなかった。相談すれば、細野先生の事だから、必ず事実調査を行い事件になってしまう。そうなると自分の8億5千万円が戻ってこなくなるかも知れず、加藤らとの事はまだ自分で何とかできると思っていたからである。
株価操縦に関するこの証言を受けて、本控訴審事件である粉飾決算事件の事実関係について、次の証言がありました。
1.平成13年8月に藤久が株主名簿に登場した。このときの顧問会では自分以外は誰も藤久の実態を知らなかった。細野先生は株主名簿を見て、帝国データバンクで調べるよう西内に指示した。
2.その後自分が大友社長に直接、藤久が加藤であることを話した。西内には話していない。西内を加藤・神本との揉め事に巻き込ませたくなかったからである。
3.次回の顧問会では、西内が信用調査に基づいて藤久のことを報告した。家具の販売会社のようであり、キャッツに対する要求は何もないとの事であった。それだけのことであり、このときに細野先生に株価操縦を告白したというのは嘘である。
4.この年の年末ギリギリの夜、細野先生の事務所に電話をして、ごあいさつをした。実はこの時は予算達成のため12月30日の夜まで営業を行なっており、必至の思いで売上をやっていた。一方加藤からは金の無心を連日受けており、自分としては心身ともに限界であった。もうこれで全てが限界だと思い、最後の売上を上げた夜遅く、まさか細野先生が事務所にいるとは思わなかったが、お声だけでも聞ければと思い電話をした。
ここで村上は感極まり、証言台で泣き出し、暫時尋問は中断を余儀なくされました。以下は涙ながらの証言です。
5.年明けに細野先生から電話があり、細野先生の事務所に呼び出された。年末の電話を気にしていただき、何かあったのではないかと尋ねていただいた。
6.最初は当たり障りのない話をしていたが、細野先生の追及で、丸田・福迫に自分がだまされて金を取られたこと、それが契機となり加藤・神本が登場し自分達の金でキャッツ株が買い占められるに到ったことを告白した。
7.細野先生は仕手との絶縁を厳しく求め、至急本多弁護士・大友社長を交えて話さなければならないと言った。
8.1月9日に三役会が開かれ、大友社長は加藤・神本の買占め株を自分が買戻して、仕手と絶縁することを宣言した。買い戻し資金は大友社長が何とかするとの事であった。自分でさえか当時20億程度の金は調達できたので、大友社長の資金調達力には何の疑問も持たなかった。
9.1月15日の細野先生を交えた会議では、大友社長は、一般投資家や従業員などにご迷惑をかけることのないよう、自分が全責任を取り、自分の金で加藤・神本の買占め株を買い戻すと話した。
10.細野先生はこれを聞いて、「本件は元はといえば村上に端を発する問題にもかかわらず、大友社長はそのことに一言も触れることなく、自分が金を出して全て責任を取ると言っているのであり、一般投資家や従業員・取引先にご迷惑をかけまいとする大友社長の姿勢はたいへん立派である」と言っていた。
その後村上は落ち着きを取り戻し、粉飾決算事件の本筋について時系列に沿って証言をしました。重要な証言は次のとおりです。
1.2月4日のやり直し取締役会は当日急遽招集された。1月24日に行なわれた60億円
の貸付決議は撤回され、大友社長が株の買戻しをするという指名決議が行なわれた。
2.そのあと監査役より細野先生に対して、ニッセキハウスに関する質問があり、細野先生
より債権放棄が進展している旨の話があった。
3.細野先生はもともと経理の仕事で来ていたのであり、取締役会終了後仕事に戻るため、途中で会議室を出た。
4.その後準公開買付は失敗し60億円は返金されたが、その金が最終的に会社に戻ったかどうかは、自分は知らされていない。
5.2月15日の開發提案によるリヒテンシュタインと匿名組合によるスキームの共謀の会議には自分は参加していない。アリバイがある。この間の活動は全て大友・西内・開發がやっており、自分は疎外されていた。
6.ニッセキハウスの買収は平成13年から進行していた話で、株の買戻しとは関係がない。サンレックスのゴルフ場は大友社長が思いつきで言い出したことで、キャッツ株でゴルフ場を買いたいと言い出したものだから話は壊れた。
7.5月28日の顧問会で、西内が大友社長振り出しの小切手で60億円の仮払金を精算することを顧問会で報告した。さらに西内はこの小切手を開發のM&Aファンドに預けたいと主張した。
8.このM&Aファンドについて、西内は細野先生に監査が必要かと尋ねたが、細野先生は必要ないが、会社が希望するのであればやったほうがいいと答え、西内が栗林公認会計士を持ち出した。
9.6月4日に開發の入った会議があり、細野先生のほうから、開發に流れた60億円でリヒテンシュタイン・匿名組合を通じてキャッツ株が買われていることを確認し、それでM&Aファンドを組んでくれないかと持ち出したが、開發は、「それでは私と200万株がくっつくのでいや」と言ってこれを断った。
10.そこで大友社長は、60億円のパーソナルチェックを決済するため、竹田という人を通じてモルガン銀行による資金調達に奔走した。
11.竹田のモルガン融資話を大友社長は信じきっていたが、細野先生・本田先生はインチキではないかと言っていた。そこで大友社長と両先生の間で1万円の賭けが行なわれた。
12.7月16日の三役会に開發が来た。三役会はいつも社長室で開かれる。大友社長は竹田のモルガン融資話はインチキだったこと、開發が一旦断ったM&Aファンドを引き受けてくれることになったことを話した。開發は、「大友社長が死んだらどうなる」と聞いたが、大友社長は、「ここにはみんないるんだから、みんなが開發さんに迷惑をかけることはない」といったので、開発も納得した。
13. これを受けて7月17日に大友社長はモルガン融資話の終了宣言を行い、自分は、「次の顧問会で先生方に掛け金を払ったほうがいいですよ」と忠告した。
14.7月18日の顧問会では、モルガンがいんちきであったことを大友社長が報告し、細野先生・本多先生に掛け金を1万円づつ支払った。細野先生が「どうしてインチキと分かったのか」と聞いたので、大友社長は「開發に教えてもらった」と説明した。この会議に開發は参加していない。
15. 大友社長は「モルガンは駄目になって小切手は決済できなかったが、開發が例のM&Aファンドを引き受けてくれるようになったので、それで60億円の仮払金を処理する」と報告した。
16.9月になりキャッツの株価が2千円を割り込んだ。キャッツ株を担保にしてシティ銀行から金を借りていた大友社長は、9月末の顧問会で10億円の個人借入をキャッツからしたいと言い出した。これには本田先生が大反対をし、細野先生もそれだけは止めろと叱責した。大友社長はこの個人借入を断念する事になった。
17.実はこの時の10億円は簿外貸付されていたが、そのことは平成15年9月に自分が社長に就任した時分かった。
18.資金に窮した大友社長は開発とつるんでM&Aファンドの200万株を市場で売却していたが、そのことは役員会でも三役会でも顧問会でも報告はなかった。自分も知らなかった。自分が知ったのは今回の控訴審における細野先生の調査結果を教えて貰った極最近のことである。
19.11月7日にファースト・マイル買収のための夢現での会議があった。開發が出席していた。大友社長は「開發さんのところの60億円のM&Aファンドでファースト・マイルを買収したい」と切り出した。
20.開發は、「ファースト・マイルはラウンドワンが100億円投資して築き上げた優良事業で、自分はこれを上場させようとして経営している」と説明した。
21.大友社長はいかにファースト・マイルが素晴らしい会社で将来性があるかを強調した。
22.西内は「ファースト・マイルには450万件の会員顧客があり、キャッツの顧客が老齢化していることもあり、キャッツの顧客との相乗効果が期待できる」と主張した。
23.細野先生は、「こんな会社を買ってどうするのか」と言って、買収に否定的であった。「それに純資産の乏しい会社だから、買収すると償却がたいへんで年間10億円を超える償却になる。それでやっていけるのか」と言った。
24.私は、「それでもうちはこれをやるんです」と答えた。この結果、この日はデューデリジェンスと株価算定をしっかりやることだけが決まった。自分はファースト・マイルの顧客数だけから考えてもファースト・マイルに60億程度の価値はあると思っていた。
25.11月末に細野先生に呼び出され、水道橋の焼鳥屋で本多先生を交えて3人で話をした。細野先生は、「株の買戻しも終わり業績もいいのにこれだけ株価の下落が止まらないのは、大友社長の放漫経営が市場から見放されているためではないか」と言って、「この際、大友社長は放漫経営の責任を取って退任すべきである」と進言した。
26.本多先生も同意見であり、結局自分が大友社長の自宅まで行き、二人で大友社長の退任問題を話し合うことになった。しかし、実際に大友社長に会うと退任の話は出来ず、この話は沙汰闇になった。
27.平成14年6月中間期並びに12月期の有価証券報告書に虚偽記載があったとは全く思っていない。
続いて、取調状況に関する証言が次の通りありました。
1.株価操縦に関するSECの取調では容疑を一貫して否認していた。また逮捕前の検察庁での取調でも否認していた。
2.逮捕勾留され最初の7日間は事件について一切話をしなかったが、「認めなければ一生拘置所から出られない」と検事に言われ、血糖値が高くこのままでは死んでしまうと思い、「一瞬でも株価操縦があれば株価操縦罪は成立する」と言われたことから株価操縦を認めることにした。
3.株価操縦での起訴後も勾留が続いたところ、検事が「おひまでしょうから…」と言って本件粉飾決算についての取調を行なった。
4.検事は西内のものと思われる調書に基づいて供述調書を作成し、「西内の記憶は確かで正しいんだ」と言って、自分の言い分を認めてくれなかった。
5.「事実と違う、記憶に無い」と抗議をしても検事は調書を訂正してくれなかった。
6.家内と娘が接見に訪れ、大家から家を出て行けといわれていること、銀行預金がすべて封鎖されてしまい金がないことを告げられた。自分が保釈で出ないことには一家が成り立たず、何としても保釈で出なければならないと思い、事実と違う調書に署名してしまった。
7.保釈後、株価操縦についての真実を立証したいと思い、丸田に会ってそのやり取りを録音テープに取った。このテープを法廷に提出してもらおうと弁護士に渡したところ、テープは弁護士から検事の手に渡ってしまった。
8.そして検事から呼び出しを受け、三方一両損の話を聞かされ、「10人の人が逮捕され、その中に一人だけいい人がいても、一人だけいい人になることはできないのだ。」と言われた。結局テープは法廷に提出されなかった。
9.自分の法廷では主張できなかった真実を証言できる機会を与えられて、ありがたいと思っている。
最後に、弁護側より、自分の刑は確定したにもかかわらず、今回宣誓供述調書を作成し証言台に立ったのはどのような心境からかと聞かれて、再び涙ながらに次のことを証言しました。
株価操縦事件で自分が逮捕されたあと、自分の両親はともに病気で倒れ、父親は今現在危篤状態である。一番下の子供はいじめに会い、登校拒否となってしまった。家内の父は昨年死んで、自分の弟も昨年鉄道の飛び込み自殺をした。自分が発端となったこの事件は次々と自分の身に不幸をもたらすが、自分でさえかこのようなことが起きるのであるから、事実と違う罪でこのようなことになっている細野先生はどれほど大変なことかと思う。自分が原因となって細野先生をこのような目に合わせてしまったのであるから、自分は決してこの世では細野先生に合わせる顔が無く、あの世でお詫びをするしかないとあきらめていたところ、仲介してくれる人があり、本日の証言ができることになった。この証言をしたところでお詫びをしたことにはならず、許してもらえることがないことはよくわかっているが、あの世ではなく、この世で少しでもお詫びをさせていただけて感謝している。
検察官からは若干の反対尋問があり、印象的なものは次の通りです。
(検察官)先ほどあなたはファースト・マイルの価値が60億円あると思った理由として、ファースト・マイルの顧客数を上げていたが、ファースト・マイルの顧客はポイント・カードの客で、キャッツの顧客とはその層が全く違うので、相乗効果など期待できないではないか?
(村上証人)だから細野先生は反対していたんです。
(検察官)一審段階ではあなたは検察側証人としても弁護側証人としても出るのはいやだと言っていたのに、なぜ今回弁護側証人となったのか。
(村上証人)あの世でお詫びするより、この世でお詫びしたかったからです。
以上、異様な雰囲気のまま閉廷しました。
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